高速バスの競争が激化してきた
1980年代の初めは、大学生の「海外卒業旅行」ブームが起こった頃でもある。
往復の航空券だけを購入し、旅行ガイドブックを見ながら現地で旅行計画を立てて、主だった観光資源や諸国の生活文化に触れることを楽しむ個人旅行が大流行した。
一方で、卒業旅行を専門に扱う旅行会社がみられるようになり、ヨーロッパ周遊一カ月の旅が50万円未満で商品化されこのような添乗員付きの団体旅行にも多くの学生が集まった。
1987年制作の映画で、主役はH。
挿入歌にMの「サーフ天国、スキー天国」などが使われ、この映画をきっかけにスキーファンが拡大したといわれている。
原作はH・プロダクション。
1987年に上映された映画「私をスキーに連れてって」の大ヒットと前後するように、若者を中心としたスキーブームがわき起こる。
深夜にマイカーを連ねて出発し、早朝スキー場に着いて仮眠をとる。
都心からスキー場へのスキー客専用パスが数多く運行され、金曜日夜の都心部ターミナル駅周辺は、数十台にのぼるパスと数多くのスキーヤーであふれ返っていた。
しかしこのような状況も1990年代に入りバブルの崩壊とともにみられなくなり、ブームは終息する。
このような旅行ブームの出現には、テレビや雑誌などのメディアの報道が大きく影響している。
をファッションとしてとらえ、流行に乗り遅れないようにその旅行スタイルに食いつくといった大衆心理の表れであろう。
旅行者サイドに流行があれば、観光地サイドにも流行があり、テーマパーク開発やスキーリゾート開発、オートキャンプ場開発などはその一端である。
そもそも、「修学旅行」の名称が初めて登場したのは、1886年(明治19年)発行の『J会雑誌』47号にT学校の旅行が紹介されたときだとされている。
以降「修学旅行」を名乗った旅行は各地に広まるが、当時の「修学旅行」には依然として行軍的なものも含まれていた。
その後、行軍要素は切り離され、修学旅行は教育課程にしっかりと位置づけられていく。
戦後の修学旅行は比較的早い時期に再開している。
その頃は家庭の経済状況から誰もが参加できるものではなく、国鉄の輸送状況もまだまだ弱く、受入れ先での食糧事情にも問題が多かったが、それでも修学旅行は着々と復興していった。
修学旅行の変遷は輸送機関の発達と密接に連動しており、1959年に運行開始した修学旅行専用列車「ひので」号と「きぼう」号は多くの修学旅行生を運びこの好調を受けて以後各地で次々と修学旅行専用列車が走り出した。
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